当協会の設立経緯について

2007年3月、私は、新規事業の立ち上げで忙しい日々を過ごしていました。

いつものように重い鞄を背負って営業に出かけようと家を出て、駅まで行く途中、突然足の付け根に激痛が走り、それ以上歩けなくなってしまいました。仕方なく、携帯電話から家にいる息子に電話をかけて迎えにきてもらい、肩車をしてもらい何とか自宅に戻ることができました。しかし、「今までこんなこと一度もなかったのにどうしたのだろう」とひどく不安になりました。

翌日、自宅近くの整形外科を初めて訪問し、診察してもらったところ、診察結果は、「変形性股関節症」ということでした。担当のF先生は、顔色一つ変えずに「あまり歩かないようにして、なるべく自転車を利用して下さい。仕事は、しないほうがよいですね。毎日通院して、しばらく様子をみましょう。」と淡々と言いました。それを聞きました私は、ひどくショックを受けました。なぜなら、初めて子供ができました時にも、好きな仕事を続けていこうと頑張ってきましたのに、そうした自分のことを何も知らない初見の医師から、突然、もう仕事を辞めろと言わんばかりのことを言われたからです。私にとって、仕事を辞めるということは、死を選ぶに等しいことでした。そして私は、「何と無神経なお医者さんなんだろう」とカチンときました。

自宅に戻った私は、パソコンを開いて、変形性股関節症というキーワードでインターネットを検索してみたところ、先ほどの医師の言葉の意味が、だんだん分かってきました。このままいくと、本当に歩けなくなってしまう大変な病気なのです。一瞬、目の前が真っ暗になりました。「ああ、私の起業家人生もこれまでか」

しかし、残念ながら、最初の医師からは、変形性股関節症がどのように進行していくのか、最終的には人工股関節手術しかないという話は一切ありませんでした。

結局、私は、その医師とは信頼関係を築くことができずに、別の医師を探すことにしました。
テレビやインターネットの情報を調べていくうちに、二人の医師を見つけました。
そのうちの一人の医師の講演会(北海道在住)が東京で開催されることを知り、早速、参加しました。
そして直ぐに診察の予約を入れたところ、一年待ちということでした。
さらに、二人目の医師も診察まで一年待ちということでしたので、とりあえず、一年先の予約を入れることにしました。

2010年4月に、二人の友人からある先生を紹介されたのが、現在の担当医であるO先生でした。
早速、翌月の先生の講演会に参加しました。

彼は、20年間で3,000件以上の人工股関節及び人工膝関節の手術経験があるとのことで、手術の時期は、いつでもよいというわけではなく進行度に応じた適切な時期があるということ、術前、術後のリハビリがとても大切ですということを知りました。
終了後には、その医師のクリニックの予約がその場でできることが分かりましたので、直ぐに予約の申し込みをしました。

2010年6月に、先生の診察を受け、左側の股関節は、末期状態で直ぐに手術をする必要があると言われましたが、既に半年先まで手術の予約が入っているので、キャンセル待ちで手術をすることになりました。

2010年11月に、左側人工股関節全置換術、さらに2012年2月に、右側人工股関節全置換術を無事終えることができました。

こうして5年間の闘病生活の間、通院とリハビリに通う日々でしたが、股関節の痛みは、ひどくなるばかりでした。長距離が歩けない、立ちっぱなしができない、重いに荷物が持てない、洗濯物をベランダまで運べない、寝返りが打てない、床に落ちている目の前のゴミさえも拾えない、片足でしか階段が昇れないという状態の日々が続いていました。

そこで、以前からアロママッサージの指導をしていただいていた先生に何とか股関節痛を和らげるクリームができないだろうかと相談をしました。
それから二人三脚で股関節痛に効くクリームの開発がスタートしました。

最後の手術が終了するまでの間、自分自身を実験台にして、試行錯誤を繰り返しながら、ようやく納得のいく商品が出来上がりました。その商品のおかげで、なんと痛み止めの薬やシップ薬を全く使わずに最後まで痛みに耐えることができましたのでした。

これらの経験を通して、同じ悩みを持つ患者さんに対して、医師選びの重要性、薬に頼らないで痛みを緩和する方法、最新の医療情報と患者同士の交流、リハビリの重要性などについてお伝えしていきたいと強く思うになりました。

そこで、2014年6月に、一般社団法人 変形性股関節症と正しく向き合う会という協会を設立しました。

2014年6月11日

一般社団法人 変形性股関節症と正しく向き合う会
代表理事   井口由紀子

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